
🕊️「語られなかったこと」──スパイ防止法と私の杞憂
2025年10月24日、高市早苗首相による所信表明演説が行われました。防衛費の増額、憲法改正、経済対策など、力強い政策が並ぶ中で、私が最も気になったのは「語られなかったこと」──スパイ防止法についての言及がなかったことです。
この法案は、自民党と日本維新の会の連立合意書に明記されている重要政策です。高市首相自身も、総裁選出馬時にその必要性を強く訴えていました。それにもかかわらず、演説では一言も触れられなかった。これは偶然でしょうか?それとも、意図的な「争点隠し」だったのでしょうか。
私がこの法案に強い危機感を抱くのは、過去の記憶があるからです。かつての治安維持法、そして特高警察。国家の安全を名目に、言論の自由が制限され、思想が監視され、社会が萎縮していった時代。スパイ防止法がその再来になるとは思いたくありませんが、制度の設計次第では、同じ轍を踏む可能性も否定できません。
もちろん、現代の日本は民主主義国家です。法案が成立するまでには、国会での審議、世論の監視、メディアの報道があります。それでも、私は「語られなかったこと」にこそ注意を向けたいのです。演説で触れられなかったからこそ、私たち市民が声を上げ、議論を深める必要があるのではないでしょうか。
語られなかったことにこそ本心があると思えるのです。
スパイ防止法が本当に必要なのか。どこまでの監視が許されるのか。誰が「スパイ」と判断するのか。それらを曖昧なまま進めてしまえば、民主主義の根幹が揺らぎかねません。
これは私の杞憂かもしれません。でも、杞憂で済むならそれでいい。語られなかったことに耳を澄ませること。それが、自由を守る第一歩だと私は思います。
したっけ。
