医者を生業にしている方には失礼ですが、今日は「藪医者」の話です。
どうか、お怒りにならずに最後までお読みください。
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やぶ‐いしゃ【×藪医者】 診断・治療の下手な医者。藪薬師(やぶくすし)。やぶ。 [補説]「野巫(やぶ)医」、すなわちまじないを用いる医者の意から出たという。 |
「やぶ医者」の語源には諸説あり、一つは「野巫医(やぶい)」から来ているというもの。
野巫とは田舎の巫女(みこ)のことで、医術より呪術を使う怪しい医者、ということから「やぶ医者」という言葉が生まれたという説です。
また、貧しくてはやらない医者は、高価な薬を仕入れることができないため、藪の中から草や根を採ってきていい加減な調剤をすることから「藪医者」という言葉が生まれたとする説もあります。
どちらも本当のようでもあり、単なる俗説のようでもあります。
しかし、実は「やぶ医者」の語源には、もう一つの説があります。
松尾芭蕉の弟子だった森川許六が編んだ『風俗文選(1706年刊)』によると、もともと「やぶ医者」とは腕の悪い医者のことではなく、但馬国(現在の兵庫県北部)の養父(やぶ)にいた名医のことを指す言葉だったそうです。
その名医は「死んだ人間をもよみがえらせる」とまで言われ、さらには治療で得た糧を貧しい人への薬代にするという人格もあって多くの人に慕われていました。
しかし、あまりに高くなりすぎた評判のせいで便乗する偽物が続出しました。
「養父から来た医者です」
「養父の方から来た医者です」
「養父の医者です」
などと養父を語って商売を始めてしまったのです。
そんなことを語る医者に名医がいるはずもありません。
そして、本来は名医の代名詞だった「養父医者」のブランドは失墜、逆に腕の悪い医者を指す言葉になってしまったのです。
どの説が本当なのか、今となっては確かめるすべはありませんが、文献に基づいている以上、この説が一番もっともらしく思えるのですが・・・。
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世に藪(やぶ)醫者と號するは。本(もと)名醫の稱にして。今いふ下手(へた)の上にはあらず。いづれの御ン時にか。何がしの良醫。但(たん)州養父(やぶ)といふ所に隱れて。治療をほどこし。死を起(をこ)し生に回(かへ)すものすくなからず。されば其風をしたひ。其業を習ふ輩。津々浦々にはびこり。やぶとだにいへば。病家も信をまし。藥力も飛がごとし。・・・・・・
※ 出典:岩波文庫『風俗文選』(伊藤松宇校訂、昭和3年10月15日発行) ※ この一節で薮医者に言及したのは許六ではなくその門弟で、許六と同じく近江彦根藩士の「汶村」という人物です。
この一節を意訳すると次のようになります。 世の中で「薮医者」という表現は、本来名医を現す言葉であって、今言われている下手な医者のことではない。いつごろの時代であろうか。ある名医が但馬の養父という所にひっそりと隠れるように住んでいて、土地の人に治療を行っていた。死にそうな病人を治すほどの治療を行うことも少なくなかった。その評判は広く各地に伝わり、多くの医者の卵が養父の名医の弟子となった。養父の名医の弟子と言えば、病人もその家人も大いに信頼し、薬の力も効果が大きかった。 風俗文選、「巻之四 解類」 |
この説は 『語源由来辞典』には載っていません。多くは『デジタル大辞泉』の解説のように書かれています。
私は名医だったという『風俗文選』の説を信じたいと思います。
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養父市(やぶし)は、兵庫県北部、但馬地域に位置する市。2004年4月1日、養父郡八鹿町、養父町、大屋町、関宮町の4町が合併して発足した。発足後の市役所は旧八鹿町役場に置かれた。 |

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