ご親族に不幸があって、お正月を迎える方、おせちの準備、どうします?
慶事などの華やかな席への出席は控える 結婚披露宴や祝賀会などの慶事への出席は、忌服期間中は控えるのがマナーです。忌服中と言って、丁重に断るのがエチケットです。ちなみに招かれる側として、結婚披露宴への出席は、少なくとも忌明けの法要がすむまでは遠慮するようにします。ただ、父母や子、同居親族などが死亡した場合を除き、本人の気持ち次第で慶事に出席する例もふえています。もっとも相手が気にすることもありますから、一応断るのも心づかいでしょう。
結婚式は、当事者のどちらかが忌服期間の場合は延期するのが常識ですが、亡くなった人との関係、年齢など、ケース・バイ・ケースで考えます。
年越しと喪中が重なったときは年賀状を控える 喪中は、年賀状を出しません。前もって年賀の欠礼を詫びるあいさつ状を出し、喪に服していることを明記します。
神社への参拝、祭事への参加も慎む 神道では死とのかかわりを避けますから、神社への参拝をはじめ、氏神の祭事などへの参加はもちろん、初詣も当然控えます。
翌年の正月は年神を祀りませんから、しめ縄や門松、鏡もちなどの正月飾りは不用、もちろん年始回りも控えます。
これについては昨日も書いたように、神職、住職によっても考え方が異なります。仏教なら四十九日、神道なら五十日祭が終われば、本来の生活に戻ってよいとすることがあります。
喪中はがきの範囲が広がりすぎているという指摘もあります。お葬式に参列しなかった人にかえって失礼に当たる場合もあるそうです。
父、母 義父(夫や妻の父) 義母(夫や妻の母) |
ほとんどの方は喪中とする。 |
12ヶ月 (もしくは13ヶ月) |
子供 |
ほとんどの方は喪中とする。 |
3ヶ月 |
兄弟、姉妹 (異父兄弟姉妹) |
ほとんどの方は喪中とする。 |
3ヶ月 (30日) |
父方の祖父 父方の祖母 母方の祖父 母方の祖母 |
喪中とする人と、しない人がいる。 (一般的に世帯主方の場合は喪中とする方が多いようです。) |
5ヶ月 3ヶ月 |
父方の祖祖父 父方の祖祖母 母方の祖祖父 母方の祖祖母 伯父(両親の兄・両親の姉の夫) 叔父(両親の弟・両親の妹の夫) 伯母(両親の姉・両親の兄の妻) 叔母(両親の妹・両親の弟の妻) 従兄弟(父母の兄弟の子供) |
ほとんどの人は喪中としません |
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さて、問題の「おせち」ですが、おせち料理やお屠蘇などの用意もしないのが一般的なようです。
しかし、「おせち」と言うと、現在では正月料理とイコールになっているが、本来は節句の料理が総て「おせち」とよばれたのです。即ち「御節料理」です。
人日(じんじつ)の節句 (1月7日)
七草粥で新年を祝います
文字どおり「人の日」です。
中国の占いでは、1月1日に「鶏」、2日に「狗」、3日に「羊」、4日に「猪」、5日に「牛」、6日に「馬」、7日に「人」、8日に「穀」を占うこととし、その日が晴れなら「吉」、雨なら「凶」とされていました。
そして、7日には邪気を祓うため七草の入った粥を食べ、一年の無事を祝ったとされています。
現在では、おせち料理で疲れた胃をいたわるため、七草粥を食べています。
芹(せり)、薺(なずな)、御形(ごぎょう)、
はこべら、すずな、すずしろ、仏の座(ほとけのざ)
女の子の成長を祝うひなまつりです
女の子が将来、良い伴侶に恵まれて幸せな結婚ができますようにと、内裏びな、三人官女、五人ばやしのひな人形を段飾りし、白酒や紅白のあられでお祝いします。
3月3日が過ぎれば、縁が遅れるとの言い伝えから、しまい込むのがしきたりとなっています。
桃の節句が全国に広がったのは江戸時代中期頃で、人形の製作技術が進み、ひな壇にひな人形を飾り、白酒、菱餅、紅白のあられなどを供え、ひな祭りを祝って会食しました。
男の子の成長を祝う子供の日です。
奈良時代から続く古い行事で、古来中国では菖蒲を入れた酒を飲んでいたといわれています。
「菖蒲」は「尚武、勝負」とかけて、端午の節句が勇ましい要素が強いことを表しています。
端午の節句が男の子の節句とされたのは、江戸時代ころからと言われ、武者人形、鯉のぼり、鎧兜などを飾り、強くたくましく成長することを願うようになりました。
七夕(たなばた)の節句 (7月7日)
織姫 と ひこ星 の物語 七夕まつりです。
七夕は奈良時代の宮中行事として行なわれるようになったと言われています。
「芸事」の上達を願う意味合いの強い節句です。
短冊に願い事を書き、笹に飾りだしたのは江戸時代ころからと言われています。
菊の花の香りのお酒でお月さまを愛でます。
菊をめでながら長寿を願う節句です。
一番おおきい数字である「九」が重なるこの日を中国で「重陽」として節句にしたそうです。
菊の香りを写した「菊酒」を飲んだり、グミの実を入れた袋を持って山に登ったり、赤・白・黄色の菊に詰めた綿に夜露を含ませてその綿で顔をぬぐうなどして邪気をはらい、長寿を願ったそうです。
節句とは一年の節目のことで、その節(せち)に行う神事に供えた食べ物が節供(せっく)と呼ばれるものです。
この日は『ハレ(晴れ)の食事=ご馳走=おせち』を作り、神様とともに食べることが重要だったのです。
正月の「おせち」も、ご馳走を重箱などに詰めておくのは、年神様を迎える節供だからであって、けっして「主婦が正月に骨休めするため」ではないのです。
「おせち」料理は、昔はお正月でお店がどこもやってないから保存食としての意味合いもありました。
そうなると喪中でも関係なく「おせち」は食べてもいいのではないでしょうか。勿論、人を招いて盛大にというわけには行きませんが・・・。
今は喪中専用のおせち「もせち」というものが売られています。重箱に入れず大皿盛となっているようです。(重箱は重なるという意味でおめでたい。)
したっけ。
